すらっぱえ日記

筆者の頭の整理のためのアウトプット場です

苦手なこと

人に、「私にもそういう時期ありました」

と言われるのがどうやら私は嫌らしい。

 

「私はもうその弊害乗り越えました」

「だから分かるよ」

という、無言の上から目線に私の潜在意識が拒否反応を起こしているのだ。

 

けど、これって

人によっては別に上からとは思わないのかもしれない。

 

私には、上からに聞こえてしまって。

私は恐らくこれまでに経験した潜在意識の書き換えワークとか、その後受けたセッション等によって「もう自分の見直す大きな弊害はない」

と思っていた。というか思いたかったのだと思う。

 

まだまだ人として未熟な自分に耐えれないのかもしれない。

 

今日、私が無理していることに気づいて声をかけてくれた職場の先輩は、私よりうんと若くて、ただ、子ども業界での経験はとても長い。

 

彼が私にとても優しく、声をかけてくれているのはわかるのに、私は自分の未熟さをありありと客観視してしまいそれがいたたまれなくなってしまった。

 

嬉しいのに、悲しい。悔しい。

 

子どもに嫌なことを言われて

淡々と大人のようにやりとりしたいのに

それをすることによって感情的になる自分を想像すると全て放棄したくなる

 

子どもに感情的になって、

果てには泣いてしまったら

 

子どもにはきっと馬鹿にされる

 

それだけは私のプライドが許さないし、プロとして(経験としては素人同然だけどそこでスタッフをやる以上)

見せてはいけないと思っている。

 

私が涙もろく感情的なのは、昔からだ。

性質だし仕方ない。

 

そう思っていたけれど

 

どうやらこの性質と、私は向き合わなければならないようだ。

 

子どもの前で堂々とていたい。

 

些細なことに神経質になって涙に振り回されることが終わるなら、そこにいってみたい。

 

私はそこに辿り着けるだろうか。

 

ーー

追記

 

私が私の大事な気持ちを伝えようとすると泣いてしまうこと

このことを否定したくない

私は好きで泣くわけではない

 

ただ、泣いてしまうのだ

 

自分の意思とは反して泣いてしまう

 

それを絶対に馬鹿にされたくはない

自分で散々だめなことだと押し込めてきたことだけど、それがやっと理解してくれる人に囲まれているのに

 

どうして「治す」なんて言葉を使ってしまったのだろう

 

まるで悪いことのように。治すべきことのように。

 

私の何が悪いっていうのだ。

 

私はこの性質を治したくはない。

ただ、子どもにも分かってほしいのだとおもう。

 

そのことを、まずは信頼できる大人に相談してみたい。

 

私は治すべきことがある欠陥品じゃない。