本当に必要な手放しは痛みを伴う
私が箕面に引っ越してから、ずっとお世話になっていたグループを卒業した。
というか、物理的には
LINEグループを退会しただけですが。
そこでは、私のように社会レールから外れたけど、まあなんとかやってますみたいな方や、自分で起業や事業をされてる方が多くて、社会的によしとされるジャッジが少ないのが、居心地がよかったのだ。
去年の10、11月は特にものすごい頻度でイベントに参加していて、そこでそのままの私を可愛がり肯定してくれる環境が心地よかったのだ。
しかし、その中で不和が起こり
私にとっての居心地のよさを作っていたものが突然なくなったのだ。
私は傷付きながらも
そこの一員でいることをやめなかった。
参加すれば、拭いきれない違和感や怒りはあるけれども
私を褒めてくれ、かわいがってくれる環境は必ずそこにあったからだ。
そこと繋がっていることで、自分の存在意義を作ろう、保とうとしていたのだと思う。
私はそこのグループに、自分の機嫌をとってもらっていたのだ。特にその中の特定人物に。
けど、今思えば
そこのグループの活動には疑問を抱く部分もあった。
ただただ、機嫌をとってもらえることに喜んで参加費を払って参加していたのだ。
今朝、そこに参加する動機がもうないことに気付いた。
もう、想いを寄せていた人は他の人と一緒にいるし、元通り仲良くはできるけど(表面的に)したくない。
自然散策系のイベントなら友達同士で企画すればいい。参加費もかかった材料費を割り勘するだけで。
怒りはあれども、
大切だった人にはその他もろもろいろんな感情を持っている。
やっぱり寂しさとか、元気かなとか思ってしまうもの。
どこかで繋がってたいとか、連絡こないかなとか期待してる自分がまだいて
そんなことに頭の要領を割きたくなくなった。
だから、私はここに当てられてる労力、気持ち、スペースを空けるためにグループを抜けた。
抜けてから、大切だった人から連絡がきた。
急にどうしたの?悲しい、と。
ちょっと泣いた。
けどね
泣くって、それだけ私のなかに執着として大きく残っていたってこと。
この執着は、いい展開を迎えない確信があるから、私が未来の自分を守るために手放した。
引きちぎったって感じかもしれない。
このグループとのかかわりで、人見知りが直った。あと、たくさん素敵なご縁をいただいた。そのご縁は大切にしていくつもり。だから、ありがとうって一番に思ってるよ。
私は次の私に必要なものを入れるスペースを作っただけ。
本当に執着してるものを手放すのって、とても心が痛いんだな。