「期待」は悲しみ、失望を連れてくる
「期待は、悲しみと失望を連れてくる。だから、期待じゃなく希望(Wish)にしよう。」
これは、デンマーク人の友人にかけてもらった言葉です。
彼は、奥さんと離婚していて、もう12年経つようです。
それぞれが目指すもの・大切にするものが大きく違ってきたため、それぞれの道を行くことにしたそうです。ただ、あまりいい別れ方ではなかったようです。
「いい別れ方はしてないけど、子どもを授り一緒に育てたこと、一緒に過ごした時間、出会えたことには感謝しかしていない。本当に感謝している」
「だから、会う度に感謝の気持ちを伝えるようにしている」
「どういう形で物事が終わろうとも、その過ごした過程、時間は間違いなく素晴らしかった瞬間で、それだけは伝えたい」と彼。
その話が今の私にめちゃくちゃ響いた。
「元奥さんからの感謝の気持ちは言われたことがないけど、それが彼女が出来ないことも僕は理解している。彼女が口にはしなくても僕に同じように感謝していることも分かっている。だから、期待はしないよ。」
「期待は、相手にしてほしいこと、相手からほしい言動を思ってする行動。
心からの行動・言動ではない。期待は、想像と違ったら悲しみを連れてくる。それに、失望も連れてくる。Wish(希望)だったら、相手に勝手に期待してがっかりすることもないし、思ったように反応が返って来なくても受け入れられる。だから、Expect(期待)よりWish(希望)を持つといいんじゃないかな」
私も、振り返れば相手に勝手に「こうしてくれるだろう」と期待しては
「こんなに私は考えているのに」
と失望し、悲しくなっていることが多々あった。
彼の話を聞いて、「私が押し付けてきたものは、~してほしいという期待だ。そして勝手に落ち込んでいただけだ。」と腑に落ちた。
気づかない間に、期待から生まれるマイナスの感情に呑まれそうになっていました。
本当は?そんなに嫌な感情ばっかりなの?
と自問自答すると、「出会えたこと、一緒に過ごした時間は間違いなく楽しくかけがえのないものだった。その事実には、もちろん感謝しかしていない」
と、失っていた自分の純粋な気持ちを見つけれた気がしました。
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「どんなに関係修復が不可能な親子関係でも、自分なりのベストをつくして歩み寄るしかない。最終的に、関係が修復できなくても、”私はベストをつくした。私なりに歩み寄ってみた。理解しようと努力しつくした。“と自分で愛を十分注ぎ込んだら、結果はどうあれ心は案外すっきりして納得がいくもの。」
この言葉そのまま校長が話していたわけではないですが、だいたいこのような内容のお話を授業で校長から聞きました。
「自分なりに歩み寄って、ベストを尽くしてみる」
「その歩み寄りに、相手からのアクションを期待をしてはいけない。希望を持つぐらいにする」
実際にこの2つをやってみて、相手への期待を打ち消すことは正直めちゃくちゃ難しかったです。というか、できませんでした。
それでも、「相手から帰ってくるものに期待していた自分」に気付くことが出来ました。気づいたら、その期待を少しずつ手放すことができたように思います。
これは私にとってとても大きな意味をもつ経験でした。
それではまた。