才能がなくたって愛されたい
昨日、前に出汁カレーがおいしかったと紹介したカフェでイベントがあり、参加してきました。
15人ぐらいかな?が、ところ畝ましと席について、色んなことをその場の流れで話したりコメントしたりで、おもしろいエネルギーが生まれる場所だった!
テーマが、北欧の教育について、ということだったんだけど、あんまり関係ない話もたくさんしました。(それがよかった)
そこに集まっていた方は、自然農をやっていたり、アウトドアの集まりをつくっていたり、自分で料理教室を開いていたり、鍼灸師さんだったり(4.5人ぐらいいた)
子供のために無農薬の食べ物を、と考えてるおかあさんだったり(このお母さん、デンマークに興味津々で、ここで会えたタイミングにご縁感じた)
それはもう色んな方が集まっていました。
一つ共通しているのは、自然が好きで、自然を大切にしたいと思ってること。
不自然に人間が手をいれるものより、そのままがいいという意識が根っこにあること。
あとは、意見の押し付けのようなものがなく
何でも言える雰囲気があった。
そういう意見もあるよね。で大丈夫な場所だった。受け入れてくれる場所だった。
コロナで生活が変わったと思うが、そこで気になることは?みたいな話をしてた時に
言うか迷ったが、自己紹介のターンがくると自然と喋っていた。
「コロナはあまり脅威と思ってません。私はマスクは感染予防効果がない、むしろ有害と思ってるので職場以外ではしないことにしてます。」
その後、
「不安な人はマスクをすればいいと思うし、しないほうが楽な人はしなくていいと思う。それを強要する風潮が嫌です」
と言った方がいて、ほんとにそうだなと思いました。
日々感じてる社会への違和感
もっとこうなるといいのにという期待
をみんなが思い思いに言葉に落としていく感じが居心地がよかった。
参加していた親子さんで、中学生の男の子がいたのだけど。
彼がすばらしいことをたくさんシェアしてくれた。
「才能がないと、愛されないのが嫌だった」
「才能がなくても、なにもなくても、ただ生まれて、いるだけでみんな愛される存在のはず」
「そのことに、もっとみんな気付いてほしいし、それが当たり前になってほしい」
どうやら、彼がオーストラリアでホームステイしていた時にお世話になったホストファミリーから言われたことがとても印象に残っているようです。
それがきっかけで、「ただ自分であるだけで、愛されていいんだ」と思えたようなのです。
「俺のどこが一番よかったかって、ホストファミリーは、優しいところって言ってくれたんです。ほんとに優しい子だって。それが本当に嬉しかった。」
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そう。この社会は
才能がないと何にしてもバカにされたり仕事がもらえなかったりとあちこちで才能フィルターにかけられる。
なにか特別にできる自分じゃないとだめなの?
何もできなくても、なにもしてなくても、ただ存在しているだけで愛されてもいいんじゃないの?
このテーマが、私を含め多くの人に響いたみたいで、その場のエネルギーが一体となった感じがした。あたたかくて愛につつまれたエネルギー。
彼がシェアしたことに対して
「そうして、思ってることを言ってくれるのが本当に嬉しい。すごいことなんだよ。ありがとう。」
と声をかけるお母さん、あちこちで愛情の受け渡しが、エネルギー循環が起こっていた。
私は彼の言葉が、思いの外琴線に触れてしまった。
私、前から人と会話をしている時に、間があく瞬間があると思うんですけど。
その瞬間に、「褒めてほしいな~」
という声?が左耳に入ってくることがよくあったんですよね。
「なんなんだろう?」
と思ってたのですが、ほんとにずっと
ほめてほしい、ほめてほしいって伝えてくるんです。
で、中学生の子の言葉をきいてた、その前後にもこのほめてほしい存在が私に訴えかけてくるんですよね。。
そこで、その声の主と対話してみました(マイブーム、いろんな意識と対話してみる)
「どうして褒めてほしいの?」
『全然褒められなかったから』
『私がありのままであることに対して、全然褒められなかったから』
『ありのままでいると、愛されないと思ってる。』
『いつでも私が褒められたのは、何か秀でてできたとき。絵がうまくかけたとき。成績がよかったとき。そういう時だけ』
と、どうやら小学生時代の私がいじけてるようでした。
「そうだね、確かにあんまり褒められなかったね。」
「辛かったね。ごめんね。。あなた(私)は、本当はありのままでも、愛される存在なんだよ。」
『でも、ありのままで愛されなかったよ』
「でもね、ありのままを愛してくれてた人はいたんだよ」
「それにね、私はありのままの、太ってても、成績が悪くても、怒りっぽくても、繊細でも、そんなあなたを愛してるよ」
「表面だけで、社会的に評価されてることだけを褒めてくるのは、愛情じゃないと思う。だから、いくらそういう部分をほめられても足りないでしょう?またほしくなるでしょう?」
「何か不得意でも、欠けてても、それでいいんだよ。全部全部、だめなことなんてなくて、だめな部分はそのままで、あなたは完璧で愛される存在なんだよ」
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というように、いじけたインナーチャイルドさん(多分小6ぐらいの自分)とお話することで、浄化の涙が溢れんばかりに流れました。
このインナーチャイルドさん、なかなかに傷付いてて、、これからも出てくるかもしれないけど、その度に、対話して癒してあげようと思いました。
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話戻りますが、
その集まりの最後に、
アジアの民族弦楽器を即興で演奏してくれたかたがいまして。
その曲がすごーく心地よくて。
目をつぶって聞いていたのですが
「ここに居場所があるよ。辛くなったら戻ってきたらいいよ」
「みんなが話す度に化学反応が起こり、みんなが浄化される、癒される、知恵になる」
そんなあたたかいイメージを感じました。
即興って、その場で、その空気感で、メンバーで、一度きりですよね。
なんか、そのあたたかい音色を、曲を私たちが作ったのかー!と思うと、感慨深くなりました。
とても深い、、DEEPな夜でした。