自分探したっていいじゃなーい
最近、気付いたことがあります
「どうしてデンマークに?」
という質問を受けたときに、無意識に
「費用が安いから」
という二の次の理由を全面に理由として説明しがちだったのだ。
フォルケホイスコーレの理念に惹かれたのが一番の理由なんですけどね。
なんですけど、
「人と共生、共同生活する中で自分を見つめ直すという理念に惹かれた」というのが、日本人感覚的にタブーと思ってしまっていた模様。
簡単に言うと
自分探ししに行った
みたいな感じですから。
自分探しって、なんでこんなに言いたくないのかな?笑
なんか馬鹿にされがちな風潮ありますよね。
(→私も、馬鹿にしてる節があったからこう感じていたのだろう。ほんと鏡の法則…)
よくないですか?自分探したくて仕事やめたって。海外いったって。
したくもない仕事し続けるよりよほど前進じゃないですか?
そんなに、何か専門スキル学んでてほしいですか?語学留学してほしいですか?
TOEICの点数が大事ですか?
「デンマークに一年いました」
という一言で、他人は好き勝手イメージして実際との差にがっかりするけど
私は満足してるのよ。
勝手に人の経験に期待してがっかりするとはなんと失礼なことだろうか。
結果的に、外に外に自分を探していて、大切なものは中にあったと気付けたのも、一年海外に住むという圧倒的に外に向けて振り切ったからだと思うのです。
それまでも、アジア放浪してみたり、暇さえあればヨーロッパの近隣諸国に行ってみたりしたけれど
陰極まりて陽となる
といいますか。
海外行き着くした結果(そんな行きつくしてもないが)
あ、ここに答えはないんだなっていう答えにたどり着いたわけです。
けど、働き続けてたら
「海外に行けば何かしら分かる」
「やりたいことが見つかる」
と思い続けてたろうから
行ってみて、「あ、ないんだ。そっか」
って身をもって理解できたのが一つ大きな成果なのだ。私にとってはね。
デンマーク行ってよかった?
と聞かれれば、俄然行ってよかったと答えるし
デンマークでの一番の収穫は、人との出会いだな。
今興味があるものや、気の会う人たちの傾向は、完全にデンマークで礎ができたように思う。
自分がスピリチュアルに目覚めだしたのも、それを理解してくれる方がいたのも、そういう話題を普通に話せる人がいたのも、全てありがたかった。スピリチュアルに限らず、封印していた罪悪感とか、劣等感とか、見て見ぬふりしてきた可哀想な過去の自分達のこととか。
デンマークの一年間は、自分の心理ブロックを心理ブロックと気付かず苦しい苦しいと過ごしていたなぁと思う。
特に前半は、何でこんなに悲しいのか、辛いのか、うまくいかないのか
わけがわからなかった。
わけがわからないなりに、剥き出しのままやれることをやってみた。それがkaloでの自分だったように思う。
その、苦しいながらも
「ここは、私はこう思う!」
と少しずつ自分に自信を取り戻して
自分の思考回路、心理ブロックの地図を作った一年間だったように思う。
それを、帰国後に
じゃあ、その価値観っていつできたんだろ?どうして必要だったんだろう?
と一つずつケアしていって、やっとここまでこれた。
私は本当に変わったと思う。
この2年間で、劇的に変わったと思う。
これからも変わり続けるし、自分がしたいことに全てが近付いていくと思う。
自分の過去への認識が変わってから、
描く未来も変わった。
ついでにいうと、現在見えてる世界も変わった。
いい方向に進んでると体感で分かる。
こんな風に日々を過ごせる日が来るとは思ってなかった。生きてるだけで素晴らしいんだもの。
私に出会ってくれた、気付きをくれた、助けてくれた全ての人に感謝したい。
ありがとうございます。
今の私があるのはあなたのおかげです。