喋ることが降りてくる人
人と話をしていて、
話題を口の周辺で考えて絞り出す必要がある人と、
通じる部分が感覚的に分かって会話、言葉が頭の上のほうから降りてくる人がいる。
三次元的、物質にこだわり社会意識を大事にしている人には、たいがい三次元的な話題にあわせて会話しないといけないので話が楽しくないしどうでもいい。あまり興味をもてない。
ニュースで話題になっていることや芸能ニュースなどで盛り上がるのだろうが、
そこが本質じゃないと分かるので会話が成り立たない。
昨日、とてもhsp気質の強い方とお話をしていて、細かい言葉の言い回しや概念はわからなくとも、「なんとなく分かる」で何時間も会話できてる状態だった。
話す内容を考えることはほぼなく、その瞬間瞬間に降りてくる言葉を紡ぐのだ。
すると、相手も降りてくる言葉を降ろす。
余計な説明がいらなく、感覚的に、共感覚的に理解し会える空間がとても居心地よかった。
人間は無意識に、「この人に話すならここまでは伝わるな」とか、「この人は感覚が似ているし、類似体験をしているのでこの辛さを話すと理解してくれそうだな」
と判断して会話してるのだなと思った。
同じ一時間、二時間でも全く深いところまでいかない人はいかない。
でも、わかる人だとすぐに核心にたどり着き共感し、その先の興味関心までたどり着いたりする。それに、お互いにとって癒しになったり、必要な情報をもっていることが多い。
だいたい、似たような痛みを経験をしている人同士は、同じような葛藤、希望、夢を抱いており
そのヒントになるものを日々情報収集している。だから相手に必要なものが降りてくるのだ。
「降りてくる」
人と会話していると、時間を忘れる。たのしい。自分の感覚、世界観が色付けられて、自己受容感が高まる。
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新興宗教にはまったことがあった大学時代。
自分の直感を信じたくて信じた人たち、団体だった。
結果、その団体の教祖は捕まっており、とても悪いことをしていた。
私はその団体でお世話になった人が好きだし信頼していた。悪意は感じなかったし、優しかったからだ。それに、自分の直感を信じて開いた世界が、優しくてうれしかったのだ。
その世界が、突き進むと危ないということを悟り、泣く泣く姿を消したのだが
私は自分の直感を信じてあげたかった。
自分の直感が間違っていたということを、受け止めきれなかった。
私は「この世の中はどこかおかしい」
と常々思って生きてきたが
その救いに見えたものすら、真理に見えたものすらまがいものだったのだ。
その時、私はとてつもなくショックを受けた。
「私の直感は、信じちゃだめなんだ」
そう思って、自分の選択にますます自信がなくなった。
洗脳から溶けた私を待っていたのは、回りからの不信感だった。
友達に急に服のポケットに手をつっこまれ、まさぐられた。
「ナイフもってないよね?」
と言われた。
めちゃくちゃ悲しかった。
めちゃくちゃ。
私の心は一度、この頃死んだと思う。
それでも、やっぱり世の中おかしいのはかわらなくって。
ただただ生きるのが苦痛だった。
救いのないモノクロな世界に見えた。
そんな私の直感を、心を、
また信じることができている。
以前よりも強く、しっかり自分の心と共にある。
そんな自分になれたことを誇りに思う。
よく乗り越えたね。信頼できたね。と。
これは、私の自分への疑念、劣等感、不信感、と徹底的に向き合ったからであり
傷つきながらも剥き出しになりながらも前に進んできた自分にありがとうと言いたい。
ありがとう。おつかれさま。ごめんね。許してね。