素敵なお金を循環させたい
お金とはなんだろうか
増やし続けないと減っていく一方で
よくも悪くも資本主義社会にいる私達はお金がないと物理的に生きていけない
寝て起きるだけで腹は減るし
お米はすぐになくなるし
野菜も果物も調味料も食べればなくなる
永遠にお金を使う対象がある
「働かざるもの食うべからず」
という言葉があるが、本当にそうなのだろうか。
働かないと食べちゃだめなのだろうか。
そもそも、働かないとだめなのだろうか
ここでいう「働く」は
いわゆる組織に属してお給料をもらう雇われの仕事をなんとなく指しているが。
毎日8時間週7日の内5日も働くのが普通なのだろうか
へとへとでせっかくの休日も休まる前に平日が始まってしまう。
こんなものを常識として根付かせたのは誰なんだろう。
体感がおかしいと言っている。
私はいつも給料日を知らないしあんまり金額にも興味がない。
給料日だから飲みに行く!とかもよくわからない。
そのもらったお金の実態がわからないんだよね
あのロボットみたいな作業で得たお金?
それとも暇で時間拘束されてただけで得たお金?
そんな、私の内側から生み出されたわけじゃない時間の切り売りの結果としてのお金になんの価値があるのだろう。
せっかくお金をもらっても
ただの数字で
ありがたくもなければ
ただの消耗品として私の口座に数字として見えるだけ。
私はこんなお金を稼ぎたくもないし
使いたくもならない
だから、自分が価値あると思うもので
誰かに幸せになってもらって
その対価としてお金をいただきたい
そのお金って、どんなに価値があるだろうか
「私が◯◯さんを幸せにした感謝のお金」
そんな、エネルギーに溢れたお金をいただいて
そのありがたいお金を私がより力を発揮するための知恵とか、経験とか、周りへの感謝に循環させていきたい
そうすると、お金はただの生活手段でなく
エネルギー循環を起こすための大事なtoolとなるのはないだろうか
お金が第一目標になってしまうと、愛が感じられなくなる。
自分の大切にしたいものを無下にしてまでお金を追いかけるのはおかしいと思う
(でもそれじゃ生活していけないとかいう三次元的な批判は置いておいて、本質的に)
本来人を助けたり幸せにしたいという思いで始めたものが、「お金これだけいただかないと教えれません」となる
私の理想は、サービスを受ける側ができる限りで払える感謝や対価を払うということ。
もしくは納得のいく金額を本人が決めて払うということ。
ものすごくよかった!と伝えれるのはお金だけじゃないと思うのです。
その人が気になってる知識経験についてシェアしたり、その人が相手がよりよく生きるためにできるなにか、、色々とあると思うのです
その人が好きそうな人とご縁を繋げたり、
ご馳走を作ってあげたり、ヒーリングしてあげたり、めちゃくちゃ素敵な大自然に連れていって案内したり、すごく素敵なカフェに一緒に行ってみたり
あくまでお互い幸せで納得いってればなんでもありと思うのです
これが、理想だけど
まだまだこの世は資本主義なので…笑
ならば、エネルギー循環が起こせるような素敵なお金を稼いで、使えるようになりたいなというお話でした。
目標は、30歳まで…笑