理想で欠如感を埋めない
読む本や小説は、山のようにあるのに
いざ読める時間があっても、「孤独やな」
という気持ちが先行してしまい、誰かと会う予定を立てたくなる。
最近午前中の暇な時間に、よく先々の休日の予定を埋めている。
何の予定もない日に、だらっと過ごすことがあまり好きじゃないのだ。そもそも平日の午前中でそれのだらだらは足りているのだ。
去年、たくさんの方とご縁ができて、なんとなく疎遠になったり、ぶつ切りになったり、まぁだいたいのものは今はあまり当時ほど濃くはなくて。
今日久しぶりに会った友人に「孤独」についていろいろとお話していたところ
「私は別に友達ほしくないからなぁ」
「気軽に参加できるサークルみたいなところでちょっと人と会うぐらいでいい」
と言い切っていたのが妙にすっきりしていていいなと思った。
友達、そうか、いらないのか。
最近私のなかで「友達とは」とよく考える。
私はきっと、私にとって都合のいい友達がほしいだけな気がする。
カラオケに一緒に行けて、話も楽しくできて、近くに住んでいて、みたいな。
そして書いてて思い出したけど、これに近い距離感の友人が一人いたけれど、近くなりすぎて破綻したのだった。嫌なところが見えすぎてしまったのだ。
こういう友達が近くにいたら最高なのになあって、自分勝手だな。
結局は、欠如感を、ありもしない何かに理想を描いて、現実になると別の問題が出てきて嫌気がさす。 ということを私は繰り返しがちだ。
理想の「友達」を求めることはやめよう。
ただ、出会う人たちとその場で生まれるものを楽しむことを純粋にしていけばいいのだ。